第二章「イマージュの再認について ― 記憶と脳」  概要

テキストは「物資と記憶」(ちくま文芸文庫 合田正人 松本 力 訳)を使用しています

ここでは第二章第一節「記憶の二つの形式」(p.100 1行目−p.118 13行目)に書かれている内容のうち、冒頭部分(p.100-p.102)にあるこの節の概要に相当する部分を抜き出し、解説したものです

もともとは、ブログ版の記事を加筆修正したものとなります

「I - 過去は、二つの異なる形式で存続する。第一は運動の機構の中で、第二は独立した想起の中で」(テキスト p.101 2-3行目)

と、まず、記憶が大別して二種類に分かれると主張する。前者はしばしば、『純粋想起』、後者を『イマージュ想起』という言い方で呼ばれる。第三章における図2(p.191)においては、知覚と純粋想起を対極においてその中間にイマージュ想起をおいている

純粋想起⇔イマージュ想起⇔知覚

この第二章においては、記憶には『純粋想起』と『イマージュ想起』の二種類があることを臨床的な心理学の見地から説明が試みられる。一方、第三章においては、その記憶の二つの形式をもとに、無意識の働きをより詳しく検証し、さらには、いかにわれわれが、さまざまな大脳生理学的、心理学的誤謬に陥りやすいかということを特に大きな部分の裂いてに説明している

このように記憶を二種類にわけたあとは再認について詳しく述べられることとなる。ここでは、

「II - 現在の対象の再認は、それが対象から生じるときには運動によって行われ、それが主体に由来するときには表象によって行われる」(テキスト p.101 10-11行目)

あるいは、p.118 14行目から始まる節「運動と想起」の最初では、

「II - 再認一般、イマージュ想起と運動について」

という言い方で、表題付けされている

そこでは、主に脳の損傷などによって起こる症状を検証することによって再認について考察していくこととなる

簡単に例を挙げると、われわれが、記憶している街並みを以前に見たものと全く同一ではないのに同じだと断定できるという不思議、あるいは、異なる人のしゃべる言葉を、癖や、しゃべり方は全く違っても理解できる不思議などがある。これは、脳の一部が損傷していたりするとできない、ということが述べられている


最後に、イマージュ記憶が運動の機能へ置き換わっていく働き、あるいは注意とはなにかということが考察される。テキストでは

「III - 時間に沿って並べられた数々の想起から、空間内でのそれらの生まれつつある行動もしくは可能的な行動を描く諸運動へと、感じられないほど徐々に移行がなされる。脳の損傷はこれらの運動を傷つけることはできるが、これらの想起を損なうことはできない」 (p.102 13-15行目)

あるいは、p.131 13行目から始まる節「想起と運動」の冒頭では

「III - 想起から運動への漸進的な移行、再認と注意」

というように表題付けされている。

概要としては以上である。

補足としては、ベルクソンはこれらを三つの命題と呼び、『残る課題は、経験がこれら三つの命題を実証しているのかどうかを知ることである』(p.102 最後の行)と述べている。

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